鳶職は華の三職と呼ばれた日本の人気職
華の三職とは?日本の人気三職だった!!
華の三職??聞いたことありますか?私はありません(; ・`д・´)なんのこと?三職?華?華がある仕事?どんな仕事なんだと思った・・・事務員 岸本です。
みなさんはなんだか想像出来ますか?私は全くわかりませんでした(;_;)
今から書く呟きは、資料をもとに私がなんとなくこんなんだったのかな?って感じた事を書いてつぶやきますので・・・あしからずm(_ _"m)
華の三職とは・・・さかのぼること147~148年前の江戸時代からのお話しです。この頃から今ではあまり聞かなくなった‶職人”さんが居たようです。約140種類もの職人さんがあったようですが、中でも代表的‶職人”であり、伝統と気概で江戸の花形だったのが『大工』『左官』『鳶』の三職 だったそうです。
この時代から鳶さんや大工さんの仕事は始まっていたんですね!!江戸時代の『鳶』のお話しを少しまとめてみました。
鳶は昔のスーパーアイドル?!
スーパーアイドルと聞いて思い浮かんだのが[SMAP]や[嵐]でした(笑)なので頭の中は???でしたなんでアイドル?何してキャーキャー言われていたんだ?と考えましたがサッパリ(/・ω・)/
江戸時代の火事と喧嘩は江戸の華などと昔は言われていたようです。火事といえば火消し!火消しと言えば‶鳶”のお兄さん方だったようで当時はかなりモテていたようです!!
普段から高い所を飛び回って作業をしていたのはこのころも同じだったみたいですね。なので鳶が火消し役として適任であったことはその職掌(役目、担当の職務)からして明らかだったようで当時の消防組織の先頭に立って働いていた主体が‶鳶”だったみたいです。
すごいですよね!鳶としての仕事の他に火消しという火事が起きれば必ず必要不可欠な消防活動も一緒にしていたなモテますわモテモテですわ(*´з`)
お給料の面も江戸の町人が約300文ほどだと・・それに対して鳶のお兄さん方は540文だったようです。現在の価格だと約22,950円。早朝から夜まで働いた日には1000文(32,500円)にもなるそうでした。
けれど、この‶職人“さんから一人前と認められるまでには8~10年かかると言われていました。もちろんその下積期間はまともなお給料はなくほぼほぼただ働きだったそうです・・・つら(;_;)
この期間この仕事を乗り越えた忍耐強さや高い技術を持った職人さんに支払われる額だったら妥当なのですかね?(日当だと思いましたが・・)
そこは今も昔も違いはないかなと思いました。モテるかどうかはまあ半々でおいときます(・.・;)笑お金の面に対しては、高い技術・能力・経験・資格・などにあった金額が払われているのかな?と思いました。(会社によりますが)みんながみんな同じ金額じゃないのは個々の実績なども関係あるので昔もそうだったんだと感じました。
現在の鳶職人。鳶の仕事に誇りを・・・
現場の鳶の仕事、建設業といえば3Kだと言われているそうです。3Kわかりますか?私が思った3Kは「きつい・汚い・臭い」でした(笑)あ、これは違う職種のか,,,(笑)
答えは「きつい・汚い・危険」でした!惜しかった(笑)こんな3Kと言われる職ですが当時は人々の憧れのスターだったみたいですね。
今の時代は、この3Kで若者離れや人手不足が問題とされてます。【鳶職人】と言っても役割により作業内容がちがいますよね。[足場鳶][鉄骨鳶][重量鳶]が主にこの3つですが、江戸時代のとび職に比べて技術の発展・安全面の重要視などにより仕事も幅広くなっていきました。
しかし、最近ではこの旧3k(きつい・汚い・危険)を変えていく動きもあるようです。若者離れや人手不足などを変えたいという思いを新しい3kにしていこうという働きもあります。
新しい3Kとは『給料・休日・希望』らしいです!ITやドローンなどの技術を取り入れて作業の効率化を測ったり、週休二日の実現に向けて取り組む企業さんもあるようです。
衣食住の柱を支えるだけでなく、道路や橋などインフラ整備も担い、人々の生活に欠かせない役割を担いでいる建設業、とび職。江戸時代から建設業の花形と言われ現在まで街などを造り続けているのが『とび職人』ですね。かっこいいし凄いし素晴らしいことだと思いました。なので鳶職人さんには誇りをもって欲しいなと思いました!!私も陰ながら応援したいと思います(*´з`)